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大阪万博2025まとめ|開幕から閉幕までの半年の出来事と記録でたどるミャクミャクの万博

大阪万博2025の写真
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2025年4月に開幕した大阪・関西万博は、半年間にわたり多くの人々の関心を集め、10月13日に閉幕しました。

建設の遅れや入場制限など、さまざまな課題を抱えながらも、最後には笑顔と拍手で終わったこの万博。 その舞台の裏には、支え合う人たちの努力と、訪れた人たちの思いがありました。

この記事では、開幕から閉幕までの歩みを振り返りながら、会場で感じた雰囲気や、未来へのつながりについてまとめています。

大阪万博を見届けたひとりとして、心からの感謝を込めて書きました。

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目次

大阪万博2025混乱から感動へ、半年の歩みを振り返って

大阪万博2025の半年間を、混乱から感動へと移り変わっていった軌跡として振り返ります。

それでは順に振り返っていきましょう。

① 開幕前の不安と、始まった春

2025年4月13日、ついに大阪万博が開幕しました。

開幕前から「建設が間に合わない」「パビリオンの中が完成していない」など、不安の声が多く聞かれていましたね。

実際、開幕当日は朝からあいにくの天気で、どこか落ち着かない空気も流れていました。

本来なら注目を集めるはずだった開幕式のブルーインパルスの展示飛行も、悪天候のため中止に。

空を見上げながら「残念だね」と話す来場者の姿が印象的でした。

それでも、会場に立った人々の表情には「ついに始まった」という実感と、わくわくするような期待がありました。テレビ越しに見ていても、静かに高揚していく空気が伝わってきたのを覚えています。

その後、7月には異例の“ブルーインパルス再飛行”が決定し、多くの人が空を見上げて歓声を上げました。

リベンジ飛行の日は快晴で、青空に描かれた軌跡がまるで半年間の希望を象徴しているように見えました。

② 夏に咲いた笑顔とSNSの盛り上がり

夏に入ると、会場の雰囲気は一気に熱を帯びました。

トイレに紙がない」というSNSの噂が広がったり、ユスリカが大量発生したりと、話題には事欠きませんでしたが、それもまた“リアルな夏の万博”でしたね。

ウォータープラザのレジオネラ菌問題で水上ショーが一時的に中止になるというハプニングもありましたが、その後の再開時には多くの人が見守り、拍手を送っていました。

夜には花火ドローンショーが開催され、夢洲の空がまるで光のキャンバスのように彩られました。

SNSでは「人生で一番きれいな夜空だった」という声も多く見られました。

パビリオンの予約も話題でした。

人気の海外館はすぐに埋まり、アプリでの抽選や予約時間との格闘も来場者の“思い出のひとつ”になりました。

8月13日夜、メトロ中央線の電気トラブルが起き、帰宅困難になる人も出るほどの混雑でした。

お土産コーナーには長い行列ができ、ミャクミャクグッズや各国の限定アイテムは売り切れ続出

開幕当初の不安はいつの間にか熱気と笑顔に変わっていきました。

③ 秋、涙と拍手に包まれた閉幕

季節は秋へと移り、2025年10月13日。大阪万博は静かに、しかし盛大に幕を閉じました。

9月以降は入場チケットを持っていても予約が取れないほどの人気ぶりで、会場はどこも人、人、人。

それでも、閉幕の日の会場には、悲しみよりも「やり切った」という明るい空気が漂っていました。

各国のパビリオンではスタッフと来場者がハグを交わし、ボランティアたちが「また会いましょう」と声を掛け合っていました。

そして夜、最後の花火が打ち上がりました。

空を見上げながら、多くの人が同じ言葉をつぶやいていた気がします。 「ありがとう、大阪万博。」

混乱のスタートから感動のフィナーレまで。

この半年は、誰にとっても忘れられない時間だったと思います。

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大阪万博2025ボランティアとして、ひとりの万博ファンとして感じたこと

ボランティアとして、ひとりの万博ファンとして感じたことをお話しします。

それでは順にお話ししますね。

① 現場で見た「人の優しさ」とチームの力

私は大阪万博2025でボランティアとして活動させていただいていました。

初めて現場に立ったとき、思っていたよりもずっと多くの人が関わっていることに驚きました。

スタッフもボランティアも、来場者に笑顔で対応していて、そこには一体感のような空気が流れていました。

困っている人を見つけると、誰かが自然に手を差し伸べ案内したり、外国から来た方に英語で話しかけたり。

特別なことをしているというより、人として当たり前のことを大切にしている姿が印象的でした。

この万博は、誰かが中心になって引っ張るというより、たくさんの人の小さな力が集まって形になっていたのだと思います。

私はその中のひとりとして関われたことを、大変感謝しています。

② パビリオン巡りとピンバッジ集めがくれた小さな宝物

休日には、来場者としてパビリオンを巡るのが何よりの楽しみでした。
外国のパビリオンを中心に、訪れるたびにピンバッジをひとつずつ集めていました。

アメリカ館、オーストリア館、英国館、オーストラリア館、チェコ館、サウジアラビア館など、それぞれの国らしさが小さな形になっていて、とても可愛らしかったです。

会場には公式の「スタンプパスポート」もあり、各パビリオンで押せるスタンプを集めるのも楽しみのひとつでした。
スタンプを押すたびに、その国の空気や思い出が少しずつ形になっていくようで、ワクワクしました。

ピンバッジはすべてのパビリオンに行けば必ずあるわけではなく、人気の場所では早くに売り切れてしまうことも。
「もっと早く来ていたら、あの国のバッジも手に入ったのにな」と思うこともありましたが、それも含めていい思い出です。
集めたピンバッジとスタンプパスポートは、私にとって大阪万博2025を歩いた証です。

③ 世界を旅するように――外国パビリオンで感じた人と文化の魅力

大阪万博2025では、日本のパビリオンは人気が高く、予約がなかなか取れませんでした。

私は唯一「パソナ館」に入ることができましたが、それ以外は外国のパビリオンを中心に回ることにしました。

もともと海外旅行が好きなので、各国の文化を感じられるのが純粋に楽しかったです。

建物のデザインや展示内容、スタッフの雰囲気も、その国の空気を感じる気分になりました。

特に印象に残ったのは、ベルギー館のレストランで味わった料理と、各国で飲んだビール。

どれも普段はなかなか出会えない味で、まるで世界を旅しているような気分になりました。

どの国のパビリオンにも、その国を愛する人たちの想いや誇りがありました。

私が唯一入れた「パソナ館」では、IPS細胞で作られた心臓がピクピク動いているのを見れたのには大感動でした!

大阪万博2025数字で見る大阪万博2025の成果と記録

数字で見る大阪万博2025の成果と記録について振り返ります。

この半年間、数字が語る万博の物語を少し覗いてみましょう。

① 来場者数・経済効果で見る成功の証

大阪万博2025は、開幕当初こそ来場者数が伸び悩みましたが、夏以降に一気に勢いを増しました。

特に9月から10月にかけては連日大盛況で、入場制限がかかる日も少なくありませんでした。

最終的な一般来場者数の累計が2557万8986人だったと発表され、当初目標を大きく上回る結果に。

1日あたりの最多は9月22日の22万5333人。

特に9月以降の週末は、家族連れや海外からの観光客が増え、会場全体が人の波であふれていました。

経済効果も大きく、観光・飲食・宿泊業を中心に活性化。

2025年4月〜6月の大阪市内のホテルの稼働率は、前年同時期と比較して約20%の上昇を記録。

関西空港の利用者数も前年比で約18~19%増となるなど、関西全体に大きな追い風を生みました。

これらの数字は単なる記録ではなく、多くの人の努力と情熱の積み重ねの結果だと思います。

半年間で人々が足を運び、笑顔で帰っていったこと。それこそが、大阪万博2025が残した一番の成果かもしれません。

② SNSと世界が見た「大阪の底力」

数字だけでなく、SNSの反応も万博の成功を物語っていました。 開幕当初は「大丈夫かな?」という声も多かったのですが、夏頃から投稿の雰囲気が一変しました。

「ミャクミャク可愛い」「〇〇館の演出がすごい」「行ってよかった!」――そんな声が日々タイムラインを賑わせていました。

海外メディアからも評価され、国際的な注目度も高まりました。

大阪の人たちのホスピタリティや、ボランティアの丁寧な対応が話題になることも多かったです。

SNSの盛り上がりと、会場での人の熱気。

その両方が合わさって、数字以上の“記憶に残る万博”になったと感じます。

\ミャクミャクとお買い物にいける!/


大阪万博2025が私たちに残したものと、ミャクミャクの存在

万博を通して一番感じたのは、人とのつながりの温かさです。

言葉が違っても、笑顔やジェスチャーで気持ちは伝わります。

来場者同士が自然に助け合ったり、スタッフと笑い合ったり。

会場のあちこちで、そんな小さな優しさが見られました。

この場所には、国籍や世代を越えた“つながりの空気”がありました。

世界が分断されがちな今だからこそ、こうした場所の存在は本当に貴重だったと思います。

そして、会場を象徴する存在となったのが公式キャラクターの「ミャクミャク」でした。

最初は“ちょっと不思議な見た目”に戸惑う声もありましたが、日が経つにつれて来場者の心をつかみ、今ではすっかり人気者に。

子どもから大人までが笑顔で「ミャクミャク」と呼びかけ、写真を撮ったりグッズを集めたりする姿は、まさにこの万博の象徴でした。

大阪万博2025は、単なるイベントではなく、 人と人、そしてキャラクターまでもが心を通わせた“共有の時間”だったと思います。

大阪万博2025から次の舞台へ――サウジ2030万博への希望

次の舞台となるサウジアラビア・リヤド万博は、テーマを「明日への先見性(Foresight for Tomorrow)」として開催されます。

① 世界はまた、新しいステージへ

リヤド万博2030は、サウジアラビアが掲げる国家プロジェクト「ビジョン2030」の一環として開催されます。 テーマの「明日への先見性(Foresight for Tomorrow)」は、未来を見据えた行動と想像力によって、より良い社会をつくることを目的としています。

この万博には195か国以上が参加し、AI、ロボティクス、再生可能エネルギー、教育、医療など、世界共通の課題に対する新しい解決策が紹介される予定です。 同時に、文化や芸術を通じた交流も重視され、「人」「技術」「地球」が調和する展示が展開されます。

サブテーマは次の3つです。

サブテーマ概要
① 変革をもたらすテクノロジー(Transformational Technology)AIやロボットなど、暮らしを変える技術革新とその公平な利用を考える。
② 持続可能な解決策(Sustainable Solutions)再生可能エネルギーや循環型デザインなど、環境と共に生きる未来を探る。
③ 豊かな人々(Prosperous People)教育・医療・福祉へのアクセスを広げ、すべての人が成長できる社会を目指す。

リヤドの都市自体も、再生可能エネルギーを利用したスマートシティとして再設計されています。 AIによる交通システム、緑化プロジェクト、持続可能な建築など、万博そのものが「未来都市のモデル」となる計画です。

Expo 2030 Riyadhは、2025年の大阪から受け継いだ“未来への希望”を、さらにグローバルな形で広げていく舞台になるでしょう。

② 大阪が残したバトンを未来へつなぐ

大阪万博2025が示したのは、困難を乗り越えても人が力を合わせれば前に進めるということでした。 その経験と精神は、次のリヤド万博に確かに引き継がれます。

大阪で生まれた「人の温かさ」や「多様性への理解」は、サウジアラビアの「変化への挑戦」と出会い、より大きな形で世界に広がっていくでしょう。

2030年のリヤド万博は、“未来を信じる力”をもう一度世界に問いかける場所になります。 大阪の想いは、きっと次の地でも光り続けるはずです。

ありがとう、大阪万博2025

半年間続いた大阪万博2025が、10月13日に閉幕しました。

最終日は多くの人でにぎわい、会場には終わりを惜しむ穏やかな空気が流れていました。

開幕前の不安を乗り越え、最後は笑顔で締めくくられた万博だったと思います。

ボランティアとして関わり、来場者としても訪れましたが、会場では初めて会う人とも笑顔で自然に言葉を交わしたことが心に残っています。

「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマのもと、会場には最新技術や文化展示など、さまざまな形で未来へのメッセージが込められていました。

そして、最初は少し不思議に見えたマスコットのミャクミャクも、いつの間にか多くの人の心に寄り添う存在になっていました。

大阪万博2025は、ミャクミャクとともに、世界と日本を結び、人々の心にさまざまな思いを残した時間でした。

関わったすべての人に、心からありがとうを伝えたいです。

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